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古代の愛とロマン『記・紀の道』

 日本で最も古いと云われる『古事記』『日本書紀』には、日本神話の根幹をなす日向神話の事が書いてあります。その伝承の中心になるのは、天孫ニニギノミコトとその妃コノハナサクヤヒメにまつわる説話です。この説話の道筋にあるものが神社や神話伝承地であり古墳です。そして本市においてこの道筋となるものが、古事記の「記」と日本書紀の「紀」から名づけた「記・紀の道」です。歩いて1時間の道程(4km)、ロマンの道が楽しめます。


都萬神社(つまじんじゃ)【クリックで写真表示】 御舟塚(みふねづか)【クリックで写真表示】 逢初川(あいそめがわ)【クリックで写真表示】 八尋殿(やひろでん)【クリックで写真表示】 無戸室(うつむろ)【クリックで写真表示】 児湯の池(こゆのいけ)【クリックで写真表示】 石貫神社(いしぬきじんじゃ)【クリックで写真表示】 大山祇塚(おおやまつみづか)【クリックで写真表示】 鬼の窟(おにのいわや)【クリックで写真表示】 男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか)【クリックで写真表示】

都萬神社(つまじんじゃ)

「さいまんさま」とも呼ばれており、日向式内社の一つで、コノハナサクヤヒメを祭神としています。コノハナサクヤヒメが3人の皇子を育てるのにお乳の代わりに甘酒を与えたという伝承から日本清酒発祥の地の碑も建てられています。

【都萬神社(つまじんじゃ)】

230m

御舟塚(みふねづか)

高天原から高千穂の峯に降臨されたニニギノミコトの一行が、海路で奥深い入江であったと伝えられるこの地に到着され、その時の舟が鎮まった所といわれています。

【御舟塚(みふねづか)】

1,060m

逢初川(あいそめがわ)

「古事記」の中にでてくる逢初川と伝えられ、ニニギノミコトがこの小川で水汲みをしていたコノハナサクヤヒメを見初められた場所といわれています。

【逢初川(あいそめがわ】

40m

八尋殿(やひろでん)

ニニギノミコトがコノハナサクヤヒメと新婚生活のために建てられた御殿の跡といわれています。

【八尋殿(やひろでん)】

380m

無戸室(うつむろ)

一夜で懐妊したコノハナサクヤヒメがニニギノミコトに疑われその疑いをとくため戸のない産屋をつくり火をかけて3皇子を出産された場所といわれています。

【無戸室(うつむろ)】

80m

児湯の池(こゆのいけ)

コノハナサクヤヒメが3皇子の産湯として水を使われた池といわれています。

【児湯の池(こゆのいけ)】

320m

石貫神社(いしぬきじんじゃ)

コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミノカミを祭神としています。

【石貫神社(いしぬきじんじゃ)】

330m

大山祇塚(おおやまつみづか)

オオヤマツミノカミの御陵といい伝えられている柄鏡式前方後円墳(全長90m)。

【大山祇塚(おおやまつみづか)】

820m

鬼の窟(おにのいわや)

コノハナサクヤヒメを嫁にと請う鬼が父神のオオヤマツミノカミより一夜で石造りの館を所望され完成させた窟といわれています。

【鬼の窟(おにのいわや)】

500m

男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか)

男狭穂塚はニニギノミコト、女狭穂塚はコノハナサクヤヒメの御陵であるといわれています。

【男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか)】